マルスラバネ

(伝記)※っぽい


 戯曲作家サーロの『マルスラバネ』と聞けば、多くの人が弟子に殺された哀れな魔法使いのことを思い出すだろう。しかし、実際のマルスラバネは、それほど悲劇的であったわけでもない。少なくとも、彼が弟子に殺されたというのはサーロの脚色だろう。

 マルスラバネはゲニア王朝、ミスラの御代に生まれた。安定した繁栄を誇るミスラの御代の下で、マルスラバネは魔術を極めた。5歳のころから地質学者である祖父に連れられて宮廷に顔を出していたというマルスラバネは、12歳の頃には水時計を改良し、宮廷魔術師の見習いになった。頭角を現すのも早かったが、世の中に絶望するのも早かった。42歳になったところで、世の不浄と不条理を嘆いて官職を辞し、カナガフの郊外にあった庭付きの一軒家を買い取ると、花と蔦にうずくまって暮らすようになる。
 魔法の達人ともなれば100くらいまで生きるのも珍しくないから、マルスラバネは魔術師としてはかなり早く表舞台から姿を消した部類に入る。

 人嫌いのマルスラバネにも、3人の弟子がいた。トーラー、アルピオ、レキュラスである。
 彼らの姿を伝えるものは残っていやしないが、トーラーは太った小男で、アルピオは筋肉質で神経質そうな男、レキュラスは気の弱そうな好青年として描かれることが多い。

 引退した後のマルスラバネは、いつも屋根を贅沢にぶち抜いたつくりの温室の決まった位置に陣取っていて、すそのゆったりとした薄青いローブを幾重かにまとっていた。彼の生活はほとんど仙人じみたものになっていて、食事すら要らなかったとされている。マルスラバネはほとんど身動きをせず、いつ訪ねようとも、温室の同じ椅子に座り続けていたという。腰からゆったりと散らばる布のうねりの中には、もはや人間らしい脚は見えなかった。『文字通りの意味で』彼は根を張っていた。
 かつての顔見知りが足を運べばアドバイスを贈ることもあったが、そこに権力やまつりごとの気配を感じ取ると、マルスラバネは目を閉じてそれ以上は何も語ろうとしなくなった。
 引退から13年が経った頃には、3番目の弟子のレキュラスを除くほとんどの人間がマルスラバネを怒らせた。もともと癇癪持ちのアルピオはさもありなんという感じだったが、人生の大半の労苦を共にしたトーラーでさえ出入り禁止を食らったのには、世間は苦笑するしかなかった。いや、一番の理解者だったからこそなのか、マルスラバネは容赦なく目をつむり、自分の人生から彼らをつまみだした。
 レキュラスだけがせっせと師の下へ通い世話をしていたのだが、嵐の次の日、髪を梳こうとつたをかき分けると、師は身じろぎ一つせず、一振りのナイフが腹に深く突き刺さっていた。血というには赤くない、黄金の樹液のような液体が流れ落ちていて、すっかり固まっていた。
 明らかに他殺と思えたのだが、マルスラバネの弟子ら3人は、これについては判断を保留している。マルスラバネの事件が人の口の端に登り始めたのは、それから2年も経ってからである。
 別に弟子達らが隠ぺい工作を働いたわけではない。そのころには呼吸すらしていなかった彼の生命判断は非常に難しかった。それに何より、いくら引退したとはいえ、物とり程度はマルスラバネの相手ではなかった。おそらく、弟子たちはマルスラバネが死に受容的であったことを察していたのだろう。
 そして、レキュラスのあずかり知らぬところでトーラーとアルピオはいよいよレキュラスでさえも師の地雷を踏み抜いて爆発させてしまったのではないかとも思ったらしい。ひょっとすると、可愛い弟弟子を守るためでもあったのかもしれないが、レキュラスは兄弟子アルピオのようにカッとするタイプでは全くなく、綿密な計画に基づいた慎重さを頼みにするタイプだった。それに、マルスラバネは死ぬ意思がなければ死なないことも可能だったろう。

 結局、マルスラバネが完全に”枯れる”まではそれから緩慢に3年を要した。3人の弟子は遺言通りに師の形見を分け合うことになった。
 一番弟子であり野心家のトーラーは「マルスラバネ」の名前を引き継いだ。
 二番弟子のアルピオは、右腕の一枝を受け取って杖にする。しかし、アルピオは前線で魔術を振るうことはなくなっており、マルスラバネの杖は専ら屋敷を飾っていた。
 そして、一番師とともに長く過ごし、また、敬愛していたレキュラスは、約束した左腕の代わりに、師の身体に突き刺さっていたナイフを賜る様に兄弟子に請うと、生涯、ナイフの持ち主を探すことに腐心したようである。
 トーラーの引き継いだマルスラバネの名は孫弟子の代までは伝わったが、その孫弟子がだれにも名を残さなかったために、マルスラバネの名にはそれ以後目立った功績はない。2,3公共工事の寄付金リストに名を連ねはしたが、杖は首都エクイエムの火災の際に失われる。
 無名の短剣とレキュラスの行方を案じる逸話が残った。晩年になってようやく復讐を遂げたというものもいれば、自らの犯行の証拠品を持ち去ったのだというものもいる。
 冒頭でも語った劇作家サーロの作による『マルスラバネ』には、一度はレキュラスがカッとなって刺してしまったが、実はとどめを刺したのはほかの人間であり、それを突き止めて犯人と相打ちになるというパターンがある。仲でも一番有名なのが、兄弟子トーラーが犯人のパターンだ。怒りっぽいアルピオでは順当すぎる、といったところなのだろうか。
 しかし、台本は毎回犯人が小役人だったり、兄弟子の二人であったりと変わる。こうやってご紹介してもミステリーのファンからのそう非難を浴びることはないだろう。熱心なファンの中には、役者の動きを見ただけで誰が犯人か当てることができると豪語するものもいる。そのマニアによれば、彼らの目配せ、上目遣い、視線のやりとりに注目するのだという。

2017/2/3
文字書きさんチャットにより、お題はruderさんより『名前』でした。
2017/4/9 改稿
inserted by FC2 system